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■ 三遊亭円丈師匠の思い出 ■

 『サバッシュ2』の原作者である三遊亭円丈師匠が、2021年11月30日にご逝去されました。

 私が三遊亭円丈師匠の訃報に触れたのは、2021年12月5日のこと。
 毎日何気なく眺めている、「Yahoo!ニュース」のトピックス欄でした。

 『サバッシュ2』の発売から、既に30年近い年月が経っています。
 いつかはこのような日が来るのかな、と、ぼんやり考えたこともありました。
 いざ迎えてみると、心にぽっかり穴が空いたようでした。

 ですが、何時間か経つにつれ、心の中は喪失感や空虚感よりも、ただただ深い感謝の念で満たされていきました。
 そして、ものすごく久しぶりに、引き出しの奥で大切に保管していた宝物を引っ張り出しました。

 宝物とは、三遊亭円丈師匠から20年以上前にいただいた、何通かのお手紙です。

 そのお手紙を読み返していたら、当時のことが色々と思い起こされ、改めて円丈師匠への感謝を綴りたい思いに駆られました。
 円丈師匠と『サバッシュ2』のいちファンに過ぎない私の思い出話ですが、お時間の許す方、ご興味のある方は、お読みいただけると幸いです。
 『サバッシュ2』という素晴らしいゲームに巡り会った当時、私、水無月めせらは10代の子供でした。
 サバ2に心底感動した私は、円丈師匠にサバ2のシナリオを作ってくださった感謝を伝えたくて、一通のファンレターを書きました。
 師匠が記事を連載していたパソコン情報誌『ポプコム』は既に休刊しており、ネット検索もできない時代。親に「どうすれば師匠に届くだろう?」と相談しながら、ダメもとで落語協会あてに送ってみることにしました。

 ファンレターの中身は、私が当サイト(『サバッシュ2』の応援&攻略サイト)で語っている内容と大差ないものだったかと思います。
 落語とほぼ関係のない手紙は、巡り巡って円丈師匠の元に届き、師匠は貴重なお時間を割いて、便箋6枚もの丁寧なお返事をくださいました。

 師匠の最初のお返事の中から、一部を引用いたします。(原文ママ。空白行は中略箇所です。)
 「私自身もスッカリ忘れてしまったサバUを絶賛して頂き、ありがとうございます。

 作者の私から見て、あなたが正しく評価をした最初の人であるとタイコ番を押します。
 私は、あなたのためにあのゲームを作ったんだと思います。私が内心言いたかったコト、表現したかったコトが、手紙には書いてあります。とてもうれしい気分でした。

 RPGをなぜ作ったか、それは、何のオクメンもなく、愛や正義が語れるからです。
 しかし、愛、勇気、正義を叫べない今の時代こそ、逆に間違ってると確信してました。

 手紙を拝見して感じたコト、とても“まっとう”で“素直”な方のようで。
 何をバカなと言われるかも知れませんが、今の時代“まっとう”で“素直”な人は本当に少ないのです。その殆んどは“愚劣”で“ゴーマン”です。
 ですから“まっとう”で“素直”な人を見かけると、人生の先輩として何か、アドバイスをしたくなります。きっとこれは、弟子5人に小言を言い続けてきたクセなのかも知れません。」
 そんなありがたいお言葉とともに、円丈師匠はご自身の考え方、価値観、今までの生き方やこれからの生き方など、思うところを綴ってくださいました。
 私の人生経験が少ないせいで、当時は実感ではなく観念的にしか理解できなかった部分もありましたが、言葉のひとつひとつに重みがあり、「心に響く言葉とはこういうものか」と深く感動しました。
 師匠のお手紙を読んだ時、私は、生まれて初めて、「人生の師匠」として尊敬できる人に出会えた、と強く思いました。

 円丈師匠は、とても冷静に、とてもシビアに、現実を観察しておられました。
 現実世界に溢れる不条理や愚かさに対し、静かな怒りを発しておられるようにも見えました。
 その鋭い観察眼はご自身にも向けられていて、「自分の中にどうしようもない欠点があり、その欠点を認識しているのに直せない」ことを悩んでおられました。

 その一方で、人間の愛や勇気や正義、言うなれば“善”の可能性を信じたいという、祈りにも似た希望を持ち続けようとしておられるとも感じました。
 師匠ご自身も「自分の中にどうしても変えられない欠点はあるけれど、それ以外の部分は変えていける。変わるためには素直さと柔軟さが大切だ」と考えておられるようでした。
 師匠が使っておられた「ネコとイヌの例え」で表現するなら、「ネコはネコであり、ネコがイヌになることはできないけれど、より良いネコになることはできる」、という感じでしょうか。
 この「現実のままならなさを踏まえつつも、できる限りの理想を追い続ける」姿勢は、まさに私が感動して涙した、『サバッシュ2』のシナリオテーマとも共通していました。
 その後も何度かお手紙を交わし、円丈師匠は「自分は悩むのが趣味みたいな性格」とおっしゃいながら、その時々に感じたことを聞かせてくださいました。
 師匠の「悩んでいます」というお言葉を目にするたび、私は「非常にマジョーンっぽい思考回路……!」と思っていました。さすがはマジョーンの生みの親……!
 途中でお手紙が直筆からプリンタ出力に変わった時は、「パソコンは9台目なのに、ゲーム以外に使っていなかった」という意外な一面と、「今の年齢でワープロが打てないと生涯パソコンが使えなくなりそうなので、ワープロの練習を始めた」と、新しいことに挑戦し続けるお姿を見せてくださいました。
 ゲームに費やすお時間はかなり減っておられたようですが、「ポケモンの赤・緑は遊びました」とか、「セガサターンの『ファルコムクラシックス』にザナドゥが入っていますが、あれは今も名作です!」とか、ゲームのお話をしてくださることもありました。
 当サイト絡みの話題としては、『サバッシュ2』のDOS/V版移植の話が存在していたこともお聞きしました。結果がどうなったのかは、グローディアファンの皆様はお察しください……(涙)。
 円丈師匠の、丸みを帯びた優しい文字を読み返していたら、ふと涙がこぼれてきました。
 日常のお話、落語のお話、狛犬のお話、ゲームのお話、そして人間や人生のお話。
 一時のこととは言え、一介のファンに対し、よくここまでたくさんの「人生の先輩としてのアドバイス」をお聞かせくださったものだと、ただただ感謝するばかりです。

 1993年、円丈師匠をはじめとする制作スタッフの皆様が『サバッシュ2』を世に送り出してくださったこと。
 その頃の私が、PC-9801のパソコンゲームを遊べる環境にあったこと、グローディアのRPGが好きだったこと、一時期『ポプコム』を購読していたこと。
 それらの状況が奇跡的に重なって、私は『サバッシュ2』に、さらには円丈師匠という「人生の師匠」に出会うご縁に恵まれました。

 三遊亭円丈師匠。
 本当に、本当にありがとうございました。

 私の人格形成や価値観形成の上で、師匠から受けた影響ははかり知れません。
 師匠のお褒めにあずかった感性は、これからもずっと大切にしていきます。

 私はちっぽけな小市民で、円丈師匠のように他人を感動させることなど到底できませんが。
 師匠が『サバッシュ2』で訴えたかったテーマと、私が抱いた『サバッシュ2』の感想が、師匠が喜んでくださるほどに一致していたのであれば。
 せめて、師匠が遺してくださった『サバッシュ2』の偉大さを称えるこのWebサイトを、インターネットの片隅にそっと置いておきたいと思います。

 三遊亭円丈師匠と『サバッシュ2』に、この上ない感謝をこめて。
 ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
(2021.12.8 水無月めせら)